第2回 ブラックサターン

*画像はイメージです。

やまのくらし 第2回 ブラックサターン (1996年4月原稿)

唐突だが、戦後日本の人間社会と鶏社会の変遷に、示唆深い類似点があると思っているのは私だけだろうか。人間の焼跡時代は、鶏では放飼い時代にあたる。高度経済成長真盛りの「アパート時代」は「ケージ時代」に。安定成長期の「マンション時代」は、人工灯冷暖房完備の「ウィンドレス鶏舎時代」に、といった具合だ。

この間、人間と同様に鶏も、文字通り「カゴの鶏」に成り下がり、自らの生を自らが創るという気概を、生きるエネルギーを失ってしまった。

ブラックサターン・・・彼こそ、焼跡、放飼い時代の最後の生残りの1羽に他ならない。体は並の倍はあるだろう。まるでタカのように鋭い嘴(くちばし)と足の爪、酷(きび)しい目(まな)差し、血たぎるがごときトサカ、青黒い威嚇的な光を放つ豊かな羽毛・・・。

ある年の厳寒期、もとの飼主のIさんによって、両足を縛られてわが山に連れて来られた時、彼は目をとじ、じっとうつむいていた。妻は彼を優しく抱きかかえ、足の紐をほどき、4羽の雌鶏達と共に放した。枯野のあちこちに、青白い雪がこびりついていた。餌を持って、雌鶏達に近付いた妻の肩先に、突然、サターンは突進した。あわててIさんと私は割って入った。その野性的な凄みと敏捷(びんしょう)さに私達はたじたじとなって、手あたりしだいに石を投げつけ、竹の棒を持ち出してきて、やっとの思いで小屋に押し込んだ。

雌鶏達が産卵を休んでいた間は、大禍なく事はすんだ。ドアをかすかにあけ、棒でサターンをけん制し、すばやく餌を入れた。水は外から金網ごしに注いだ。数日後、卵を産み始めた。それもドアから1番遠い奥に。何度か小屋に入ろうとしたが、その都度、サターンに阻まれ、とうとうその日は卵を取ることができなかった。

なにしろ生活と、それに面子(めんつ)がかかっている。たかが雄鶏1羽のために、貴重なタンパク源である卵さえ頂だいできないとなると、これは人間の沽券(こけん)にかかわる。私は家の裏の栗の木の枝にロープをぶらさげ、その先に木片をくくりつけた。木刀がわりの丈夫な竹棒を作り、木刀の先をサターンの嘴(くちばし)にみたて、実戦練習に汗を流した。

翌日、棒とバケツを持って、鶏小屋に向かった。私はサターンの目をきっと睨(にらみ)付(つ)け、棒でけん制しながら小屋に入り、後ろ手で戸をしめた。私はサターンの嘴の先に棒を突き付け、一瞬も目を離さずに、摺(す)り足で奥へと向かった。さすがに彼も間をつめることができない。私は卵をバケツに入れ、戸口へと向かった。どっと汗が吹き出てきた。ふと私はサターンから戸口へ視線を移した。その瞬間、サターンは目にも止まらぬ速さで私に飛びかかり、太股に容赦ない突きを連打した。私は後退しながら、必死になって彼の頭に何度も棒を打ち込み、ようやく外に出ることができた。私の太股からもサターンの頭からも、血が流れていた。

サターンとの熾烈(しれつ)な戦いは連日続き、血を見ずにすむ日はなかった。そこで一計を案じた。私は、産卵場所が奥の板壁のすぐ手前であることに目を付けた。その板壁にノミとノコでまず小さな穴をあけ、跪(ひざまず)いて中をのぞきながら棒を入れ、いち早く異変を察しこちらに突進しようとしているサターンをけん制した。さらに穴を広げると、目の前に3個の卵があらわれた。それらをありがたくいただいて、素早く、用意していた石で穴をふさいだ。なんともあっけなく事は成就した。これで平和がもどるだろう。直後、サターンの突進による重い振動が伝わってきた。

しだいに寒さは緩み、まれにではあるが、雲の切れ目からお日様が顔を出した時の光の豊かさは、春が確実に近付いていることを感じさせた。

3月に入ってすぐのある日、天気は一変した。重苦しい灰色の空が大地におおいかぶさり、霰(あられ)まじりの荒々しい風の冷たさは、身も心もちぎれるほどだった。

昼前、棒とバケツを持って、鶏小屋に向かった。いつものように穴をふさいでいる石をずらした。ずらし過ぎかなと思ったのと、ドスッと全身に重い衝撃を感じたのと、ほとんど同時だった。どっと私は尻もちをついた。目の前にサターンがいた。灰色の空に向けてその全身を高々と伸び上がらせ、いっぱいに羽を広げた。と思うが早いか、一気にその嘴が私の顔に迫った。無意識のうちに私はそれをかわし、嘴は私の肩先をかすった。正直言って全身がガタガタとふるえるような、泣き出したいような思いだったのだが、いつまでも腰を抜かしていては命にかかわる。ふだんのぼんやりした人間とは別人になったように素早く飛び起きて棒を引っつかみ中段に構えた。サターンは全身の毛をブルブルと逆立て、激しく地面をけって飛び上がったかと思うと、今度は私の太股めがけて突進してきた。私は結構余裕を持ってそれをかわすことができた。なぜか、急に生き生きとした気分になった。奇妙に意識はさえざえとしていた。間髪を入れず私は鋭くサターンの懐深く踏み込み、その頭部に力を込めて棒をふり下ろした。あっけなく彼は倒れた。

身動き一つせず、ぐったりと頭をたれている。私はそろりそろりと近付いた。棒で軽く小突いてみたが、まったく反応がない。目は固く閉じられたままだ。私は恐る恐る彼の体に手をさしのべ、顔をのぞき込んだ。目が開き、ぎらりと光った。ぎょっとして私が飛びのくのと、サターンが飛び起きるのと同時だった。まるで禿鷹(はげたか)のようなけたたましい叫び声をあげて、彼は飛ぶように栗山を駆け登った。茅の生い茂る枯野に、あっという間にその姿は消えた。

サターンは、自身の妻達に対しては、いたってやさしかった。ミミズを見付けた時など、クックッと知らせ、先に彼女たちに食べさせた。夜は、彼の羽の下に彼女たちは眠った。

彼は「カゴの鶏」でおさまるには、余りにも独立心旺盛で、誇り高かったのだ。まさしく気高く勇猛な野(・)の(・)鶏(・)だったのだ。

終日小雨ふるある夕方、Iさんによってサターンはとらえられ、栗の木に逆さにつり下げられた。彼は死を悟ったのか、じっと目をつぶっている。一面の夕闇に、初々しい緑がうっすらと浮き上がっている。Iさんの持つ庖丁の刃の先が、彼の首根っこの頚(けい)動脈をスーとよぎった。血が太い糸を引いてしたたり落ちた。「グワー」と一声、サターンは悲痛な叫びを発して、大空を翔(かけ)るように大きく羽ばたいた。わずかの後、羽の動きはゆっくりと止った。一気に生命が抜け落ちていった。だらりと重い抜け殻がぶらさがった。

今も、漆黒の闇に響きわたる数羽の雄鶏のトキの声(サターンの迫力には及ぶべくもないが)で、私達の山は目をさます。サターンが駆けた栗山では、約300羽(2002年現在は約700羽)の雌鶏達が、切れるような冷気の中、息をひそめるようにして夜明けを待つ。

(つづく)

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