第4回 「拾(ひろ)イズム」 

シロウト百姓25年~得たもの、失ったもの

~ 第4回 「拾(ひろ)イズム」(1999年9月執筆)

日本社会も不景気になったものだと今更ながら痛感させられる。ろくな物が捨てられていない。周知のように、この国土の至る所、とりわけ都会からさほど離れていない山間部の道路沿いはゴミの山だ。以前はけっこう使える物があった。コタツ、ブロック、流し、トタン、ガラス戸・・・。

お盆の精霊流しの栄華も今は昔だ。20年ほど前は、川原に延々と、スイカ、バナナ、ブドウ、種々の菓子類、ソーメン、缶詰、そして缶ビール、カップ酒、ウィスキーのポケット瓶等々、よりどり見取りに並べられていたものだ。

それらの品々を、まるで幼児が芋掘りでもしているかのように目を輝かせて拾いまくっていた「元祖拾(ひろ)イズム」氏・・・。彼も今は亡い。初老、細身、細面(おもて)の下半分が豊かな灰色の髭に覆われていた。雨の日も寒風の日も、自転車で2時間強、自宅と勤め先を往復していた。それも、めぼしい獲物が捨てられていないか、鷹(たか)のように目を光らせて。

何より寂しくなったのは、おいちゃんの姿が見えなくなったことだ。「地金(じがね)屋」あるいは「ボロ屋」という言葉も死語になってしまった。私達が新生活を始めた頃、彼は60位、がっしりとした体つき、白髪、岩のような顔も笑うと童顔になった。町中をリヤカーを引いて回り、不用品を集め、分類し、急勾配の坂にきっちりと積んだ。段ボール、新聞紙、雑誌類、衣類、瓶、鉄、アルミ、銅・・・。工具、農具、台所用品、電気製品、材木等々は別に整理して、知人友人に格安で(時には無料(ただ)で)譲った。

まさに彼こそ、私達一家の師であり、恩人であった。生活のために必要な、食糧以外のすべての物を、彼に調達してもらった。初めて彼が遊びに来たとき、開口一番「あんたんとこの家ち、一目でわかったばい」。家の周りが彼の所にあった物ばかりだったからだ。3人で大笑いした。

わずかに月1,2万の収入、どんなに切り詰めても、買わなければならない物は出てくる。切羽詰まって、おいちゃんの所に行ってみると、大抵、それがあるのだ。鍬(くわ)、鋸(のこ)、一輪車、自転車、バイク、鍋、洗濯機、冷蔵庫、ミシン、編み機・・・。無かった物と言えば、車くらいのものだ。ベビーベッド、たらい、おまる、玩具類も買ったことがない。様々の物が混然と同居し、一つ一つがそれぞれに異彩を放っている彼の倉の中は、子供達の最高の遊び場だった。三輪車、スコップ、バレーボール、木琴、ハサミ、タイヤ、けん玉、本箱、算盤(そろばん)・・・、彼等はあれこれと引っ張り出して、おいちゃんの許可を得て、嬉々として持ち帰った。実に彼のおかげで、私達は貧乏ぐらしを楽しむことができたのだ。

彼は家屋の解体もした。もちろん、瓦、材木等有用なものはきちんと残した。引っ越しの際の片付けもした。

その彼の仕事を手伝ったことがある。そこは小さなモルタル塗りのアパートの2階だった。サラ金で夜逃げしたと、おいちゃんは事も無げに言った。室中に布団が敷かれたままだった。タンスの引き出しの一つからシャツがはみ出ていた。居間のテレビ、コタツ、コタツの上のミカン、ハシ立て、湯のみ、急須・・・。短い廊下のような台所、流しの汚れた食器、冷蔵庫、電子レンジ・・・ふと、空き巣になったような気がした。今にもドアが開いて、この家の住人達が帰ってくるような気がした。この緊張感が病みつきになって、泥棒稼業から足を洗えなくなるのかもしれない。

当時、わが家にはほとんどの家財道具は揃っていたので、この時はラジカセ1台をもらって帰った。

拾イズムのおもしろさの第一は意外性だろう。まったく思いもしない獲物を見つけ出した時のときめきを一度でも覚えたが最後、この遊びから足を洗えない。

ある時、道端の草原にコールテンの靴の片方が転がっていた。傷も汚れもなく結構新しく、しっかりとした作りだ。片方しかないので誰も持っていかなかったのだろう。はいてみるとピッタリだった。ムラムラと湧き起こる物欲に我を忘れ、必死にあたりを捜索、見事もう片方が見付かった。それにしても、どこの誰が何故、こんな所に、しかも別々の場所に靴を脱ぎ捨てたのだろうか。

またある時、おいちゃんの例の倉庫で妻と鍋を物色していた。と、底の深い厚手のフライパンが妻の目に止まった。よく見ると、前々から彼女が欲しいと思っていた無水鍋だった。これだと薪の火でもパンやケーキが焼ける。ただし、密閉できる蓋がなければ意味がない。この時も目の色を変えて捜した。まったく別の所にあった。ちょっと見るとただの浅いフライパンだが、無水鍋にピッタリと合った。

またある時は、パン屋さんからもらった耳パンの袋の中に、まだ柔らかなメロンパン、アンパン、アンドーナツ等がふんだんに入っていた。

これらが皆、無料(ただ)なのだ。無料とは何とありがたい、伸びやかな、自由なものだろう。金を稼がなくていい、働かなくていい。がんじがらめの商品経済から、たとえ一時であろうと解き放たれるのだ。大空を翔るトビやカラスのように。野に棲むウサギやイタチのように。土に遊ぶミミズやモグラのように。

それにまた新たな商品を消費、つまり新たなゴミをこの地球上にまた1つ加えなくてすむということの、何と軽々で安らかなことだろう。同時に、ゴミとして打ち捨てられた一つ一つの存在を復活させ、人間との結び付きを再生し、それら一つ一つに生命を吹き込むことの、何という喜びだろう。

新商品を次から次へと作り、次から次へと消費するーー一体どれだけのエネルギーを、時間を費やしている、つまり捨てていることか。何のために作るのか、何のために消費するのか、捨てるのか。私にはそれは、今、ここから、自分自身からの逃避にしか、死から、生から、生命からの逃走にしか思えない。

ゴミこそ、私達の生命なのかもしれない。私達は自身を捨てているのかもしれない。拾イズムとは、私達自身の生命を拾うことなのかも、私達自身の再生なのかもしれない。

まず、今、ここにある自身を、すべての物をトータルに認める。まさに拾イズムの醍醐味とは、その物と自身の可能性を存分に発揮させ、生活の一つ一つを創造していくことにある。

ちょっとタイソウな話になってしまった。現実には、創造というより、つぎはぎ、あるいはやりくりと言った方がいいか。金が無いので、ある物と自身の労力を使うしかない。

例えば、スコップの柄(え)が折れた時、刃を柄に打ち付けている釘の頭をヤスリで除き、刃を柄からはずす。あとは柄を短くするか、別の柄を捜す。山に入って、手頃な木を切ってきてもいい(図1参照)鋸の場合は、刃をはずし、その根元を真赤に熱して、別の柄に突きさして取り付ける。

ついでに五右衛門風呂の最も簡単な作り方を紹介しよう。と言っても、家のすぐ近くに急傾斜がなければならないし、その地質が容易に緩まないものでなければならない。

その急傾斜に五右衛門風呂の釜を埋め込み、下からと上からと穴を掘り、つなぐ。つまりトンネルを掘る。下部がたき口で、上部がエントツになるわけだ(図2参照)。もっともほとんどの場合、このトンネルは崩壊する。ちょうど子供の頃よく作った砂場のトンネルのように。それもいい。山石を積んで釜を支える。釜が土の中にあるというだけでも、断熱効果等、意味はある。エントツは、モルタル製かステンレス製の物を埋め込めばいい。

7,8年前のことだったか。おいちゃんの仕事場だった傾斜地は、のっぺりとしたコンクリートの面に成り果ててしまった。彼が集めた山のような金属類も段ボールも、そしてあの倉も、あっけなく姿を消した。風の便りでは、彼は仕事を失って急速に惚(ほう)けてしまった。市営住宅での独居ぐらしとか。

そのほぼ同時期、私達の山のすぐ隣に、私達の知らないうちに産業廃棄物処分場ができている。これは偶然ではなく必然だろう。前者は原因であり、後者は結果だろう。

私達は本当に拾わなくなった。私達の社会は徹頭徹尾、より早く、より多く、より効率よく捨てることに終始してきた。

あまりにも失ったものが大きすぎる。ただの雑木林、ただの原っぱ、池、小川、ただの砂浜、海、ただの水、ただの空気、ただ生きること、静けさに眠ること・・・。

実に「もう一つの社会」とは、この社会の「外」にではなく「内」に創らねばならない。

もはや「外」などどこにもない。

(つづく)

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