第2回  私の秘策 ーー シロウト農法 

シロウト百姓25年 ~得たもの、失ったもの~

連載第2回  「私の秘策 ーー シロウト農法」(工法)(1999年5月執筆)

などとついタイソウな題をつけてしまったのだが、何のことはない、素人は素人でよか、と、開き直っただけのことだ。

私も最初は殊勝にも住み込みの見習いを数年やらねばと思っていた。熊本や久留米、三重県等にまで足を伸ばしたのだが、受け入れてくれる農家になかなか出会えなかった。

どうなるにしても金はいるし、体力もつけておかねばということで、しばらく義兄の製材所で働くことになった。

そうこうしているうちに、義兄が福岡県筑豊の山田市に1haほどの栗山を見つけ出してきて言った。「ゴチャゴチャ考える前にとにかくやってみるたい。栗拾いぐらい、子供でもできるばい。土地代のことは私に任せなさい」

渡りに舟とはこのこと、本音を言えば、農家に見習いなど、考えただけでも息が詰まる。日本農家の、あの血と汗と涙の、清く正しい深刻な世界は、子供の頃から苦手だった。まるで碁盤のように四角四面できっちりと整備された田んぼ、ゴルフ場の芝のように刈り揃えられた畦草、草1本、チリの1つも見当たらない庭先・・・。星明りの下、仕事を始め、再び星が輝き始めるまで営々と汗を流す、これこそ百姓道なのだ・・・。

それでも農業では食えないとか?半分を年貢に取られていた江戸時代の仮に倍の収量だとして、ほぼ4倍の米が自分のものになるのに。食えないのではなく、都会並みの収入を得ることが困難なのだ。

食うことだけを考えるならば、そんなにアクセクと働かなくてもいいのではなかろうか。第一、のんびりと暇を持て余すくらいでないと、何のための田舎暮らしかわからないではないか。

そこで私の秘策である。並に金を稼ぐこと、並みの農業、そして並みの暮らしを営むこと、これらはてんから捨ててかかる。まず、自分達の食べ物をつくる、採集する(拾う、もらう)。機械ではなく自身の身体を、化学肥料、農薬ではなく、人あるいは家畜の糞尿、草、落葉、木灰等を使う。もちろんビニールハウスなど無用だ。その地、その季節にあった、それこそ素人でも作れるものだけ。見かけ、大きさ、表面的な味など一切無視。動物蛋白源は山羊乳と放し飼い鶏の卵。餌は山羊は草だけ、鶏は人間の残りと米糠。

食品加工も自身で、燃料は薪。衣類はお古のもらい物。住も北海道ならともかく南国九州である。雨風を防ぐ程度のものなら自分達で調達できるだろう。

結局、製材所で半年余り働いた7月半ば(1974年)、例の栗山に移り住むことになった。その2ヵ月ほど前、慌ただしく結婚し、妻(みな子)は移住の直前、教職を辞した。

私は土地ではなく、時機を取った。この機会を逃せば、いつになったら大地に帰ることができるのかわからない。この選択はまちがっていなかったと今でも思う。ただ、失ったもの(得られなかったもの)も大きい。新天地は中小の山々が群がる一角、かつて炭坑があった所で、流れ水も湧き水も無かった。当然、水田はできない。

この一帯には戦後すぐ開拓団が入植したのだが、近くに農家は1軒も残っていない。わが山の南に、お隣の自家用菜園があるだけで、あとは周りはすべて山林、少し下った谷を抜ける道沿いに、10数軒の民家が散在している。

逆に、こんな環境だからこそ、シロウト農法などといういいかげんなぐうたら農法を、自由に気ままに楽しむことができた。山田市、いや筑豊全体に残っていた炭坑時代からの開放的でかつ余計な干渉をしない気風も私たちにはぴったりだった。

さて、シロウト農法の真髄のその1が、生活全般において極力金を使わないことはすでに述べた。その最大の難関が「住」だろう。なにしろこの日本社会では、マイホーム作りに、土地代を除いても最低数百万かかるのが常識中の常識なのだから。

幸いにして格好の先例があった。戦後すぐの焼け跡時代に流行った堀立小屋である。地面に穴を掘り、材木を埋め、垂直に立てる。これがそのまま柱になる。埋まる部分の先を焼くかコールタールを塗れば腐らない。地面を平らにならすことも土台もしたがってブロックもモルタルも必要ない。かえって傾斜があったほうがいい。傾斜が下に続く限り永遠に地面を這い下がるように室を継ぎ足していくことができる。

(図1)

規格など何も無いから、どんな材料も(たとえば丸太)使える。と言うより、どんな家を建てるか、ではなく、まず、無料(タダ)あるいは格安のどんな材料がどれだけ手に入るか、から出発する。このことは住にとどまらない。食、衣、さらには遊び、教育等々、シロウト農法の真髄のその2なのである。

それらの材料を現場に揃え、考え、作り、また考える。まちがっても、机の上で細かい計画やまして設計図など書こうとしてはならない。はたして柱は立つのか、屋根の骨組みの材料を上げることができるだろうか、すぐに屋根が崩れ落ちないだろうか、床は抜けないか等々、限りなく不安が湧き出てくる。現場主義のいきあたりばったり、すなわちバッタリズムこそ、シロウト農法の真髄のその3なのだ。

あくまでも現場で、小屋のあらかたの広さ、間取り、柱の位置等を決め、とにかくまず高い方(つまり棟)の柱を垂直に、柱と柱を水平に立てる(最も単純にやるなら棟の柱2本ということになる)。この垂直が難しい。ちょっとしたズレも後には大きなものになって戸や窓を付けたり壁を張る時など、かなり面倒になる。ま、しかしなんとかごまかせる。あまり気にしないほうがいい。ただ、水平だけは、水糸を張り、ビニール管に水を入れてきっちりと出さねばならない。そうしないと、へたをすると屋根が傾いて最初からやり直さなければならなくなる。手を抜くべき所(特に見てくれ)は、容赦なく抜き、最低限守らねばならないこと(特に安全面)は徹底させる。これがシロウト農法第4の真髄なのだ。

次に、すでに立てた柱に平行に、それより低い柱を立て、高い方から低い方へ材木を差し渡し、さらにそれらに直角に角材を数本打ち付け、その上にトタンを張れば屋根のできあがり。切り込みは不要、クギやカスガイで十分。ただし筋交(すじかい)は必要(図2)*図1~5

念のため、私のような無知蒙昧(もうまい)な人がいないとも限らないので、くれぐれもトタンの谷ではなく山にクギを打つこと

(図3)。

次に床。これも切り込み不要

(図4)。

古畳が無料(タダ)でよく手に入る。まず畳をしき、空いた部分を合板等で埋める。畳が大きすぎるときはノコやカマで引きちぎる。相当に難儀だ。

次に外壁。どんな窓や戸、板やトタン等があるかでおのずから決まる。台風の事だけは考えて、東南向きは特に丈夫に、窓や戸に広く取りすぎない。サッシも使えるが、木枠のほうが自分で敷居や鴨居を作れるからいい。鴨居は溝を掘るのではなく、細木を打ち付ける

(図5)。

内壁と天井はベニヤ板が安く簡単。

このようにして、妻と私で、時折近所の人の助言を受けながら、畳8枚ほどの小屋を約3週間で建てた。費用は数万かかった。

その小屋での最初の夕、初秋の爽やかな山の気が群青色の大空に突き抜けるようだった。闇が深まるにつれて、冷気は研ぎ澄まされ、透き通った虫達の声がひたひたと四方から押し寄せてきた。

闇に全身を委ねた。ようやく自身のいるべき場に帰ってこれたという安堵の思いが、腹の底からこみ上げてきた。私はもう私でない何かになるために、優秀に、フツーになるために頑張らなくていい。私は私そのままでいい。ただ生きればいい。

私が大地から与えられた最高のものは、この限りない安らぎと伸びやかさだった。

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